妻の実家で飼っていたワンコが亡くなった。
ただただ、さみしい
2018年1月19日の昼12時ごろの出来事で、俺がその連絡をもらったのは同日13時前だった。
体調不良だったとは聞いていたし、老犬(14才)だったので、まぁ・・・しょうがなかったのかもしれない。寿命と言ってしまえば、そうなんだろう。
けど、俺が最後にワンコに会ったのは16年の8月。1年以上も会わないままだったんだな・・・と考えると、ただたださみしく思う。
実際、妻の実家は遠いので年に1〜2回しか行かないし、ワンコと触れ合った時間も俺は圧倒的に少ない。
でも思い出をふりかえると、初めて妻の実家へ挨拶に行ったときも「吠えられるよ〜」と脅され、事実とんでもなく吠えられてビビったり、かと思えば数日滞在するとなついてくれたり。
散歩にも行ったし、メシ食ってたら寄ってきたり、俺が寝ている布団まで起こしに来てくれたり、尻を向けてくつろぐようになってくれたり。(尻を向けるのは信頼の証だと妻から聞いた)
少ないながらも、しっかり心に焼き付いている光景がある。
思い出をありがとう。
ああ、もう吠えられもしないし、ふれあいもできないんだなぁ・・・。
なんてさみしいんだろう。
俺ですらこれなんだから、じゃあ14年関わってきた妻は?妻の実家の面々は?
電話しながら泣いていた妻の姿が目に浮かぶ。
一緒にいる時間だけでいいから、感謝を伝える
生き物を飼うなら、別れってのは覚悟しなきゃあいけない。大事な人とだって、いずれ別れは訪れる。
でもそんなもんは誰だってわかっているだろうし、わかっていてもつらいんだ。
「失ってはじめてその存在の大切さに気付く」というテンプレートのような言葉がこの世にはあるけれど、事実、人間は自分の身の回りのことで精一杯になってしまい、自分に関わり「自分の暮らす世界」を一緒に支えてくれている存在のありがたみを忘れてしまいがちだと思う。
でもそれはしょうがない。四六時中どんなときでも相手のことばかり考える、なんてことが無理なのはわかるし、そこをどうにかする必要はないんだろう。
ただまぁ、だからこそ。
今誰かが自分の目の前にいて、同じ時間を過ごしているその間だけは、相手が存在してくれていることへの感謝を忘れず、伝えていきたいと思う。
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