プライド高くて人目を気にする奴から死んでいくのかもな。

日記

恥をさらしてでも生きたいか、人目を気にして死んでいくか。どっちが良いんだろう。

 

小山田です。

 

薬局へ買い物に行きました。欲しかったものはトイレットペーパー。我が家のトイレットペーパーは残数1。必要だったので買い物へ行ったのです。で、入店して店内を見渡せば、目に入った4組中2組がトイレットペーパーを抱えていて、僕を入れたら5組中3組がトイレットペーパーを抱えている構図になる。

 

僕は思った。違う、違うんです。我が家には、ほんとうにトイレットペーパーが無いだけなんです。

 

なんだか、コロナによる?デマ?による買い占め?売り切れ?ようわからないのですが、いろいろと売り切れて慌てて買いに走る、買い占めだ〜、という出来事が世間では起こっているらしいじゃないですか。(コロナは怖いけどデマだの買い占めだのには興味がないのでよく知らない)

 

なんか、自分もそういうふうに見られたらヤダなぁー、とその時は感じました。実際1グループ1つまでとか書いてあるしさ。ぜったい仲間だと思われるじゃーん、やだー、って。

 

でも、帰ってから考えたのは、何を思われようが周りを蹴落としてでも自分だけは生きようとするって、生き物としたら別に普通のことなんじゃないかなぁと。動物も、植物も、強いオスだけが子孫を残せたり、光をもとめて周りの植物より高く高く、というのが大自然の当たり前だろうし。ニンゲンだって、たまたま高い知能を手に入れただけの獣だと思えば、生きようとして然るべきじゃないですか。(amazarashiも楽曲「多数決」にて、その実、知恵のある振りをした獣だから、と歌っていますよね)

 

だから、たぶんホントのホントに世の中が何かしらの危機に陥ったとき、僕みたいに人目を気にしたり謎にプライドが高かったり、優しいふりをしたり、みたいな奴らはおそらく早いうちに死んでいって、周りなんか知るかーデマなんて知るかー、どう言われようと生き残るんじゃー、という人のほうが立派に生き延びるんじゃないかなと。

 

そんなふうに考えたら、僕が持っている「人目を気にする癖」とか「譲り合おうとする精神」とか「俺はデマになんて踊らされねーぞ!(ドヤッ」みたいなのって、何なんだろうなぁ、と思ってしまったのです。

 

特に苦労しなくても、ある程度はみんな仲良く生きていける平和な社会だから、自己中心的で、言い方を変えれば周りを気にしない力の強い人を煙たいと感じる場面ってあると思うけど、そういう人たちを「イヤだな」と感じる気持ちの裏には「本当は自分もそうなれたらいいのに」という願いが隠れている可能性があったりして。僕ももっと本気で生きたがるべきなのかもしれないな、恥をさらしてでもさ。

 

周りを気にしない人の、自分だけは生きようとするエネルギー。滑稽だなと笑っている場合じゃないかもね、というお話でした。

 

お読みいただきありがとうございました。以上、小山田でした。( ^ω^ )

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