自分には何もない、それでいい。「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」感想

自己啓発をやめて哲学をはじめよう 哲学

自己啓発を信じていたあの頃

僕は自己啓発が好きだった。

自分が変われる気がしたし、自分の中にはきっと何か大きなものが眠っているんだと信じることもできた。

本もたくさん買った。周りに自己啓発本を読む人がいない中で意識の高い本を読んでいる自分への優越感も得られた。

ゆくゆくは自分が世界を変えるのだと、わりと本気で、ちょっとだけ信じていたあの頃。

自己啓発をしてネットで稼ぐ道を進み始めたし、ブログだって始めた。(この選択自体を間違いだったとは思わないが)

自己啓発に必死だった自分は、それでもわりと有意義だった。

でも成果は出ない。答えはどこにあるのか?

でも、自己啓発を信じてきた自分が今なにかしら成果を出せているのか?

ブログも2年半やった。

決して、望んでいた未来は手に入れていない。

それが事実。

いったい答えはどこにあるのだろう?

薄々気づいていたこと

正直な話、気づき始めていた。

自分の中には、何もないんだ、ということ。

うっすらと、感覚的に、「ああきっと、俺にはなにもないんだな」ということに、実は初めから気づいていて、でも受け入れたのはつい先日のこと。

そう、僕は受け入れていた。何もない自分を・・・。

自己啓発をやめて哲学をはじめよう

何もない自分に対して「何もなくてもいいのかもな」なんて思ったタイミングで出会った本がある。

酒井穣さんの「自己啓発をやめて哲学をはじめよう その絶望をどう扱うのか」という本である。

はじめに、によるとこの本は「現代の日本の自己啓発ブームに警鐘を鳴らすために書いた」とのことで、酒井穣さんの友人も自己啓発にハマり戻ってこられなくなったそうだ。

いったいなぜ自己啓発ブームなんてものが起こっているのか。いったいなぜ、人は自己啓発にハマってしまうのか。

自己啓発という言葉に踊らされず、自己啓発という世界の現実や危険性を理解して、そして自己啓発と表裏の関係にある「哲学」をはじめてみないか、と本書は投げかけてくる。

絶望感を味わう

僕は自力でそのムダさに気づいていたとはいえ、やはり自己啓発を信じていた部類の人間だ。

そんな人間にとって、この本の第一章はとんでもなく刺激的で、劇薬のような、猛烈な痛みだった。

自己啓発ビジネスはインチキなんです、そもそのこの世は運ゲーなんです。

理性は欲求の奴隷なんです、成功しようとするから悲劇が生まれるんです。

こんな内容が、しっかりとした説得力で語られていく。

いったいなんなんだ、やめてくれ・・・そう思いはじめる。

答えは自分の外側に

僕に絶望を与えながらも酒井穣さんはこう投げかけてくる。

「月は、なぜ落ちてこないのかわかるかい?自分の内側ばかり見ていないで、外の世界に好奇心を向けてみようよ」と。

自分の持っている可能性とかそんなつまらないものを探求しないで、世の中の不思議とか、世界という素晴らしいものを探求していこうよ、それが哲学なんだよ、と・・・。

正直難しい、だが希望を感じる

先日、僕はどうしても大好きな音楽のことを魅力的に伝える記事の書き方が知りたくて、いろいろな人の記事を読んで分析してパターンを見つけよう!なんてことをしていた。

これがどうにも、楽しかった。

果たしてこれは哲学なのだろうか?

僕は今たまたまブログをやっているが、もちろんやっていなかった可能性もある。でも国語は学生時代から好きだったし、文章についてあれこれ考えるのは好きだし。

文章の持つ力に魅力を感じている・・・だから知りたい、学びたいと思った。

これって哲学?

むずかしい。

でも、なんとなくわかりかけている気はする。

理解はまだまだ浅いが、「哲学」という言葉に、希望をうっすらと感じる。

まとめ

「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」の要点を抜き出すと下記だろうか。

  • 好奇心を自分の内側に向けない
  • 哲学とは「自分こそが正しい」を否定して、正しさを外側に向けていくこと
  • 自分というつまらないものではなく、この世界という素晴らしいものを探求しよう
  • 自分の成功にはまったく役に立たないことに没頭しよう

正直、一度読んだだけで完全に理解とはいかない。だが現代の自己啓発ブームの危うさを語り「あきらめ」を促してくる第一章はとんでもなく突き刺さった。

怖かったし、救われた。

この本によって救われる人というのは多いのではないだろうか。いや、そうであってほしい。

自己啓発ブームのさなか、多くの人にこの本が届くことを願う。

僕はもう、自己啓発をやめます。

以上、小山田でした。

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