妻がジャガイモを調理した。ハンバーグに添える、乱切りで皮付きの、レンジでちょっとチンしてフライパンで焼いたものだ。
レンジのチンが800wで2分ということで、どうやら足りなかったらしくだいぶシャクシャクとした食感が残っていた。「ジャガイモって生食できるの?」と聞くと、「調べたんだけど、平気らしいよー、サラダとかに使うって」
「でも芽は取れってさー」と続けて言うので、「へぇ〜、まぁ芽は取ったんでしょ?」と聞いたら―僕はとうぜんYESが返ってくるつもりで―そしたら「なにもしてないよ〜」と言われ、わりと大きめの「まじ!?」が口から出た。
ジャガイモの芽に含まれる毒素のことはさすがの僕でも知っていて、それって気にして当たり前だと思っていたので、かなり衝撃的で焦った。
後から調べてみれば、新じゃがで買ってきたばかりだったし、冷蔵庫の残りのじゃがいもを見ても平気そうな(発芽は無い)状態。芽を取る、という工程はたしかに不要そう。くわえてネットで調べてみても、(知恵袋では「小さくても取ったほうがいい」という人もいるが)市販品で中毒の可能性はほぼ無いとのことで。
ジャガイモによる食中毒について(外部リンク)
さいわい体調不良もないが、しかしまぁ、そのときかなり焦ってしまった僕は良くなかった。
妻を責めるような言葉が、次々に口からあふれてしまったのだ。「え、なんで取らないの?」「普通取るよね?」「芽を取らない文化で育ってないんだけど」etc…(調べる前のことで、おのれの無知さや過敏さが原因なのだ、わかっている)
しまいには妻の口から「じゃあ捨ててください。ごめんなさい」を言わせてしまった。
なぜこうなのだ、僕は。口を開けば大切な人を傷つけ悲しませる。大切に思っているはずなのに、つらい思いをさせ、心に傷をつけてしまう。
今回に限らず何度もやらかしたことがあり、そのたびに自分のことを嫌いになる。自分なんかいないほうがいいと感じる、この失敗。
どれだけ優しい人間であろうと思っていても、これは育ちの悪さか、そもそもの性質なのか、心の中では他人をバカにしたり見下したり悪く言うのが自分の本性なのだろうと、そう感じる。みんなには隠しているけれど、唯一と言っていいほど打ち解けた他人である妻にだけは、本性をあらわしているのかもしれない。
ほんとうに申し訳ない、こんなヤツで。ごめんね。
ただ、この反省はチャンスであるとも言える。自分と向き合えば、治せるかもしれない。なにかコツやテクニックのようなものを身につければ、理性で本性をコントロールして、仲良く生きていける。そんな希望があるかもしれない。
そもそも人間関係のいざこざなんてものは、相手を否定するから始まるのが大半だ。
つまり、いざこざを起こさないためには、相手を否定せずに自分の意見を届けること。これをどうやるか。
相手の問題を取り上げず、相手以外の問題を取り上げるのはどうだろう。
今回の件で言えば、「なぜ芽を取らないの?」という相手の行為ではなく、「なぜ芽って取らないといけないんだっけ?」「芽を取らないで食べるとどうなるんだろうね?」というジャガイモの問題を取り上げる。「使ったジャガイモって発芽はしてた?」を確認するのだっていい。
他にも、妻がゲームばかりしているのを見て「ゲームばっかりして楽しそうでいいね(皮肉)」ではなく、「なんでゲームって熱中しちゃうんだろうね」である。
そういう、相手自身ではない問題を取り上げて、いっしょに考えるところからコミュニケーションを始めることができれば、あるいは些細ないざこざを、なくせるかもしれない。
少しずつでも、やってみようと思います。
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