「恥」という贈り物。人は恥をかくおかげで学び、発展できる

「恥」というものを感じた最古の記憶をたどってみると、小学何年生かの国語の授業にたどりつく。

なにかの物語をひとり一行ずつ音読していく、というよくあるやつで、なんとまぁ運悪く読めない漢字があった。

支度。

僕はこれを先生に「わかりません」と言ったら、「間違ってもいいから読んでみなさい」と。

しど、と読んで、したくだよ、と言われた。
なんだか笑われたような気がして、つらかった・・・。

さて人間はなぜ「恥」を感じるのか?

「恥」はつらい思い出になることもある。

でもやっぱりそこから学び成長していくためにあるんだなぁと、そう思わされる出来事が起こった。

読みたいことを書く=書きたいことを書く?

Twitterのブロガー仲間のお友達Tetsuyaさん(@mindpalacer)と「ブログ文章の書き方」についてお話していたときのこと。

記事をつくる前にターゲットを決めるか、とか、主張って大切ですよね、とかいう会話の中で、僕はこんな悩みを打ち明けた。

「読みたいことを書けばいいっていう本が話題になりましたけど、その一方で書きたいことを書くなっていう人もいて、どうしたらいいんでしょうね?」

「読みたいことを書けばいい」という言葉は、田中泰延氏の著書「読みたいことを、書けばいい。」からそのまま。
「書きたいことを書くな」という言葉は、マナブさんの記事構成テクニック「書きたいことは、書いちゃダメ」という教えから。

僕はこの時点で「読みたいことを書く」という言葉の意味を間違えてしまっていて、「自分が読みたいことを書くってことはつまり書きたいことを書くってことでしょ!なのに書きたいことは書くなって言う人もいて、どうすりゃいいねん!」と悩んでいたわけだ。

しかしこの間違いは、このあと見事に正されることになる。

「書きたいことは、書いちゃダメ」です。(あとは分かるな?)

なんとこのやりとりにコメントをくれたのが、「読みたいことを、書けばいい。」著者の田中泰延氏ご本人。

そのコメントは、たった一言。

「自分の書きたいことは書いちゃダメ」です。

この一言で、悟ってしまった。

ああ、そうだった。

読みたいことを書くことと、書きたいことを書くことは、一緒じゃなかったじゃないか・・・。

清々しいほどに、素直に、恥をかいた瞬間だった。

恥をかいたことは忘れない(多分)

今回の出来事もそう。
冒頭で語った国語の授業もそう。

おそらく人間が本気で「うわー、恥かいたわぁ」という出来事は、忘れないのである。

そして何かを恥じたということは、そこから本人にとって正しい道へ進んでいくチャンスなのだ。

支度の読み方、一発で覚えて忘れたことないしね。

いただいた指摘を素直に受け入れる謙虚さや、学ぶ姿勢を大事にしていれば、人間は「恥」のおかげで成長することができる。

恥をかくのも悪くない。

誰かの「恥」は、誰かの気づきにもなる

しかも今回の僕の「恥」が、多くの人の気づきや学びにもなれたようだ。

不思議なことに、とても嬉しかった。(嬉しすぎてたくさん引用しました)

恥かいて、社会貢献できてしまったのだ。

すごいや。

人間は恥をかく生き物だという前提のもとで「キミ、それはとても恥ずかしいことだぞ」と言う(言われる)こと。
それによって、多くの人の間で議論が生まれたり学びが生まれたりするんだ。

まとめ:人間は恥をかくことで学び発展できる生き物

人間にとって「恥」とは、

  • つらい思いをするかもしれない
  • でも受け入れれば自分が成長するチャンス
  • しかも他の人の気づきや学びのきっかけにもなる

ぶっちゃけ衝撃体験でした。
恥ずかしい思いをすることなんて、避けるべきだと思っていたのに、そんなことないんだなって。

恥をかいたその瞬間はもしかするとつらい思いをするかもしれない。

でもその恥が人類の発展につながっている・・・と思ったら、なんだか悪くない。

そう思いませんか?笑

どこかで誰かが恥ずかしい思いをしたら、この話を思い出してもらえますように。

以上、小山田でした。(^ω^)

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