妖ばなし第35話「大首」感想/愛と恐怖と死生観

公開日:2018/10/04

自分を現世に繋ぎとめているものは、何なんだろう。

妖ばなし第35話「大首」の感想です。

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予告

あらすじ

歩いても歩いても出られない、夜にもならない森をさまよう一家3人。母はしだいに足が動かなくなり、父と娘はそれでも3人で一緒に森を抜けようと願う。そして出口のような光を見つけたとき、母は倒れてしまう。

そう、ここは黄泉の入り口、生と死の境界線。この森で倒れることは現実での死を意味する。

倒れてしまった母を泣きながら置いていこうとしたそのとき、母は大首となって目ざめ父と娘に襲いかかる。「私を置いていくの?一緒にいてくれないの?」

監督・脚本は國米修市さん(Twitter)。

感想

物語への引き込み方が良い

冒頭、物語への引き込み方がとても良かったです。

妖ばなしのタイトルが出た直後に「大首」のタイトルが出る。文車妖妃の語りが無い?違和感のなか一瞬映る救急車のパトライトとサイレン音、そしてようやく文車妖妃の語りが始まると「黄泉の入り口のことを知っていますか?」と意味深・・・なんのことだかわからないまま見ていると、登場人物たちの様子もおかしい。

「もしかしたらもう・・・」「パパは夜になるって言ってたけど、ここに来てから夜になった?」

ハッと気づく。救急車、黄泉の入り口・・・なるほど、この人たちは現実の事故かなにかでいま生死をさまよっていて、この森がすでにさっき文車妖妃の言っていた「黄泉の入り口」なんだ。そう気づいた途端、物語にググッと引き込まれてしまった。

例えば、文車妖妃の語りやタイトルを出すタイミング、救急車のパトライトの見せ方などが少しでも違ったら印象は変わってしまい、面白さが半減していた可能性もある。よくわからないうちにもうすでに事は起こっている、その怖さったらないのだ。(思い返してみると、話のタイトルが出てから文車妖妃が語るパターンはレアだ。3期では初。2期以前もあったかな?)

冒頭の見せ方、素晴らしかったです。

家族愛にほろり

途中、足が動かないと言う奥さんを旦那さんがおんぶするシーンや「家族なんだからいつも一緒だろ」「一緒に帰ろう」など家族の絆をアピールするセリフがあり、家族愛を感じてほろりと温かい気持ちになってしまいました。

私事ですが自分の家族とのいざこざを思い返すと、いわゆる思春期には両親との衝突も少なからずあったし、実の姉とは同じ屋根の下で中学から私が家を出るまで10年ほど口を利かず顔も合わせないという、異常な暮らしをしていました。(今は仲良しだけど!)

そういう経験があるせいか、家族愛というやつにめっぽう弱い。

無条件に自分を支えてくれて、また自分も支えてあげたいと思える、そういう信頼にあふれた家族の関係がこの一家からは垣間見えて、ほろりときてしまいました。

前半は!!!!

嫁のヤンデレ化

後半、倒れてしまった母が闇堕ちして目ざめて家族に襲いかかるシーンで果てしない恐怖を感じました。

「わたしを置いていくの?あなた言ったでしょう?家族はいつも一緒だって」

怖い。怖い!

そもそも大首(人の身長よりもでかい顔だけの存在)ってものが本能的な恐怖を感じさせる。脳みそが「そんなでかい首、ありえない!」と思っているから、いざ直面すると足がすくむ。しかも演じた奥富珠里さんが怖い。顔面も声も怖い。ラストもこっち向かって飛んでくるし。いや、怖いですから。ね?わかるでしょ?やめて?前半のほろりを返しておくれ。(ずっと褒めてます)

投げかけられた重たいテーマ

そして最後に文車妖妃から投げかけられたテーマが、とても考えさせられるものでした。

「大切な人とは死ぬときまで一緒なのか?でも、ひとりだけで死ぬのはさみしいですよね?」

作中では、父は母を見捨てられず一緒に死に、せっかく生還した娘も父と母の大首に死へと導かれる結末でした。「家族なんだから死ぬときも一緒だよ」と・・・。

さて、ここで3つのパターンで自分ならどうするか?考えてみましょう。


1.妻(大切な人)に先立たれたら

もし私が今回のシチュエーション「妻が先に逝ってしまい、一緒に死んでくれとお願いしてきた」に放り込まれたとしたら、妻をひとりにはできないから一緒に死にます。Yes,大首。

2.自分が先に死んだら

もし自分が先に逝ってしまったら、妻や大切な人を道連れにしようとは思わない。「ひとしきり悲しんで、そしたら新しい幸せ見つけて長生きしてね」と言います。Not,大首。

3.子どもには

たとえひとりになっても強く育って幸せ見つけて長生きしてほしい。なので道連れにはしません。Not,大首。


その人がいない暮らしを想像できるか?死を受け入れられるか?と考えてみたら、今の私は妻がいなくなったらさみしいし多分受け入れられないかなと。少なくとも今は、いなくなる想像ができない。で、妻にさみしい思いもさせたくなくて、妻のさみしいは我慢できない。なので妻が大首になって出たら一緒に死ぬ。といった感じです。(この考えも時間経過で変わるんだろうか?)

同じ「大切な人」といっても例えば自分の両親にかんしては、もう60歳も迎えてるし親はいずれ先に死ぬものだ、と理解できているので、いざその時が訪れたら果てしなく悲しんだあと受け入れられると思う。大首になられても困る。(笑)

自分が仮に先に死んだ場合は、ひとりで死ぬのはさみしいけど自分のさみしいは我慢できる。だから大首にはならない。残された側はさみしがるかもしれないけど「だいじょーぶ、生きてりゃ良いことあるよ、人生楽しんで」と言い残してひとりあの世へ飛んで行きますね。

子どもには未来を紡いていってほしいので、どうあっても生きてほしいです。

ここでふと考えてしまう。

自分を現世に繋ぎとめているものは何なんだろう?

・・・。

明確な「生きている理由」なんて持っておらず今を精一杯やっております、それを「いつ死んでもいい人生を送っている」と言えば聞こえはいいですが、のらくら生きてるだけなのかもしれませんね。どうなんでしょう。

まぁでも無理に死にたくはないし長生きしたいのは間違いない。これから先、自分がこの世で生きたいと思える理由を自分の中に見つけられるといいなぁ、なんて思いますね。

子どもができたら大切に育てよう。

まとめ

  • 冒頭の引き込みが実に良い
  • 家族愛にほろりとしたあと、大首にも泣かされる(恐怖で)
  • 大切な人と「死」について考えさせられる

家族愛もあれば妖怪「大首」の怖さも満載、死についても考えさせられる、面白さがギュギュっと凝縮された回でした。とても面白かったです。國米監督の次回「がしゃどくろ」も期待!

以上、小山田でした。( ^ω^ )


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妖ばなし第35話「大首」感想/愛と恐怖と死生観」への2件のフィードバック

    1. 小山田 投稿作成者

      ひでひら様

      コメントありがとうございます!
      妖ばなし、面白いですよー!
      シーズンもまだまだ続いていくみたいなので、ぜひ(*´ω`*)

      返信

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