笑顔や喜びを与えられる人。

今朝は10時頃、家のチャイムが鳴って起こされた。

聖書の勧誘だった。
モニタには可愛い女の子が立っていて、「いま聖書から幸せになれる言葉を教えてまわっている」ようなことを言ってきた。
後ろにはおばさんも立っていた。

寝起きだったこともあり「あ、またの機会にお願いします。ありがとうございます」とあしらってしまったが、どんな言葉をいただけたのか、それだけでも聞けば良かった。

他人を軽くあしらうという行為をした自分になんとなく嫌気を感じ、おもむろにamazarashiの楽曲なんか流してしまったものだからまぁ大変。

憂鬱スイッチが入ってしまい、ごろごろと何もせぬままひたすらamazarashiの曲を聞いて、スマホをいじってたまに寝て、また起きてごろごろして、とそんな感じで夕方まで過ごした。

amazarashiの曲はネガティブな言葉も並ぶが、それでも生きるんだ、という強いメッセージ性がある。
でもまぁ、ネガティブな言葉ばかりが刺さってしまうときもあり、そういうときは立ち直るまで時間もかかる。

なんだか申し訳ない気持ちになる。

 

夕方になり、妻が仕事から帰ってくる時間も近づき、家事をなにもしていないのも悪いなと皿を洗う。

ふと、11月2日に控えている某AV女優の写真集発売イベントでのプレゼントをどうしようかと思い、相手の喜ぶものを悩んで空振りしてもしょうがない、プレゼントなんてものは自分が好きなものを渡せばいいのだ、そうだ陰陽座のライブBDでも渡すか、と考えた。

陰陽座ライブBD「覇道征舞」を再生しているところに妻も帰ってきて、ふたりで見ていた。

のべ3時間堪能し、やっぱ陰陽座かっこいいな、最高だな、と喜んだ。

音楽ライブって楽しいよな。

そういえば、音楽ライブが楽しいことを教えてくれたのはUNISON SQUARE GARDENだったな、と彼らのライブDVDで一番大好きな日比谷野音のDVDを見た。(流星のスコール初回盤に付属)

誰よりも楽しそうに演奏する彼ら。
彼らを見て楽しそうな観客。
楽しそうな観客を見て嬉しそうな彼ら。

プラスのエネルギーが循環しているのを感じた。

 

こんな感じで今日は一日中音楽と共にある日だった。

音楽、やっぱり大好きだな。

そして、誰かに笑顔や喜びを与えられる人への憧れを抱いた。
誰かの悲しみやつらさに寄り添える人、そしてプラスのエネルギーに変換できる人。
そうそうできることではないし、欠かせない存在だと思う。

僕はたまたま音楽が好きで、音楽を通じてそういう感情を得ることが多いのだけれど、まぁ自分も何かしらの表現で、誰かに笑顔や喜びを与えるだったり、悲しみに寄り添ったり、みたいな。

そういうことができる人間になりたいなぁと、そう感じた。
強く、感じた。

 

胸を張ってできるような特技もないし、自分には何にもないと思ってるし、自己肯定感の低さは相変わらずだけれど。

エネルギーをもらうばかりじゃなく、与えられる側になりたいなぁというのは、わりと本心だ。

何かで輝ける人間になりたいな。

でも、自分はそうなりたいなんて言うけれど。

Twitterを眺めていれば自己顕示したい人間ばかりが集まっていて、そこに感じる不快感もあったりするし、そっち側に自分がなれるのか?なりたいのか?とか考えるとちょっとアレ。

いやいや、自己顕示と、笑顔や喜びを与えたいってのは違うか。

やりたいことをやるのか。
相手が欲しいものを与えるのか。

これを決めるのが難しいなと常々考えているけれど。

特に認められようとか稼ごうとか有名になろうとか考えずに、自分の表現したいことを表現していけば、人っていうのはついてきてくれるものなのだろうか。

わからん。

人生、長いなぁ。

いったい自分がこれからさき、何をやって、どう生きていけばいいのか。

悩んでしまうし不安しかないけれど。

笑顔や喜びを与えられる人に、なりたいなぁと、そう考えた一日だった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました